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僕と君と、キミと僕。

2009年4月に第一子が誕生。試行錯誤しながら母親業してます。気力も体力も根性もないダメ母親のつぶやき。




3.11 :: 2012/03/10(Sat)

3.11
あれからもう1年、なのか
まだ1年、なのか。

追悼番組ばかりで見るのがつらい。
地震直後は、他の地域はもっと大変だったんだ、ってそう思って見ていた。
新聞が配達されるようになってからは、読んで泣きたくなった。
一番、覚えているのが、老人ホームで津波からは免れたけど
低体温症で何人も亡くなっていく、それを介護していた人たちの記事。

一人を運ぶために、複数人必要だから、だれを先に運ぶか、運ばないか。
きっと運びきれなくて亡くなった人もいるんだって、想像した。

保育園だったか幼稚園のバス。
水につかって、運転手だか、添乗していた先生が、一生懸命引き上げたって。
全員、引き上げられたんだっけ?

旦那が大震災の写真集(っていう言い方でいいのか?)買ってきた。
写真だけかと思ったら、体験談も載っていて、読むのつらくなってやめた。
あのころは読めたはずなのに、今はつらい。

きっと現実感がなくて、頭に若干だけど、フィルターかかっていたんだろうな。
時間がたって、フィルターも解除されてきたから、こんなに悲しいんだと思う。

*

あの日は、職場にいた。
すごい長く揺れて、停電になって、7日だか9日の地震の比じゃないと思った。
パニックになっている先輩をよそに、やけに頭が冷静だったのを覚えている。
直後は携帯が繋がったから、すぐ旦那に電話して、保育園にいる子供を迎えにいって、と頼んだ。
旦那が夜勤明けで、家にいてよかった。
でなかったら、二人とも家に帰れなかった。
あとから聞いたら、市内に住む母が、迎えに行ってくれるつもりだったらしい。

そのあとは帰れなくて、一晩会社に泊めてもらった。
ワンセグでニュース見ているひと(実家が岩手で養殖業しているらしい)がいて
見せてもらったけど、なぜか県内の様子はやってなかった。
受信できるチャンネルがそこだけだったのか、どうかわからないけど
なんで宮古だか大船渡だかの津波の映像ばかり、繰り返し流しているんだろう、って分からなかった。
ワンセグの人は、「たぶ両親は海辺に作業に出ていたと思う」と話していて、
何度もお母さんに電話していたけど、やけに冷静な感じだった。
何年も海で働いていたのなら、すぐに海から離れてますよ、大丈夫ですよ、って
根拠もないけど、そう言った。というか、そのくらいしか言えなかった。


もひとり、県内の沿岸部に自宅がある人は、ワンセグの人とは対照的で
もう死んだと決まったかのような、落ち込みぷりだった。
自宅には、自分の両親と子供たちだけだったから、逃げるに逃げられなかったんじゃないか
もうダメだ、と悲壮感が凄かった。
やっぱりリダイヤル何回もしていたけど、奥さんとも(地元で働いているらしい)連絡とれないみたいだった。

一晩中、余震が続いて、ほとんど眠れなかった。
さすがに自宅、やばいかも、と思った、
流されないにしても、津波で浸水はしたんじゃないか、と。
水道管が破裂しただけなら、浸水しても水害で保険おりるけど
津波はダメだったんじゃないか、保険でなかったら何とかなるのか?って考えてた。
でももしかしたら、ぎりぎりうちは大丈夫なんじゃないか?なんて淡い期待もしていた。
結局は、浸水していたんだけど。


次の日の朝、薄い朝刊が届いて、津波で大変なことになったこと、
ようやく実感した。ような気がする。
悲壮感満載の人には、これ見せられないね、って会社に泊まった人と話した。
うちが浸水しただけなら、ましなこと、ようやく分かった。

その日のうちに旦那と連絡がついて、旦那がうちの母親の車借りて
迎えに来てくれた。
旦那の話によると、子供を保育園に迎えに行って、私の実家に行って預けた後
すぐに家にオムツとか取りに行ったらしいんだけど、その時にはすでに
だいぶ手前の方まで浸水してしまっていて、自宅には近づけない状態になっていたらしい。
2~3日後?に行った時もまだ膝丈くらいまで、水が残っていたんだけど
旦那が長靴もはかずに、ざぶざぶ歩いて行った。
すんごい冷たいって、言ってた。
同じような方向に行きたい人たちが、危ないから引き返そう、て引き返したのに。
何が危ないって、ガラスがあるかも、とかマンホールが空いてるかも、とか
陥没したところがあって、急に深くなるかも、ってことだって、後から気が付いた。

それから2週間kらい、私の実家にいたけど、仕事にも通えないから(JRの復旧見込みなし)
旦那の実家にお世話になることにした。
市内の職場にはバスで(便数減だけど復旧済み)通えるから。
子供はお義母さんが見ていてくれたから、ものすごく助かった。
お義父さん(週に3日仕事)とお義母さんがかまってくれたせいか
子供がむちゃくちゃ言葉出るようになった。
地震前は、少し話す、くらいだったのに。
思わぬ副産物?


ワンセグの人が5月末で退職した。
すんごい急な話だった。
体調不良、ということだったけど、もしかしたら震災で、精神的にまいってしまって
それでなのかな?とうっすら思った。


自宅の被害は、保険上は半壊、地震による津波も保障の範囲だったから
けっこうまとまった金額が出て、床はがして、壁も半分くらい(濡れている高さまで)はがして補修できた。
建具や住宅設備を全部取り替えると、倍近くかかってとてもじゃないけど無理だから
それらは、外してもらって、再利用しt。
罹災証明書は、大規模半壊。
半壊よりすごいのか、ってびっくりした。
ていうか、全壊よりの半壊ってことなのかな。

残念だったのは、車。
旦那が子供を迎えにいくとき、車出そうとしたらすでに前の道路が渋滞していたから
後から取りに来ようと、思ったらしい。
その時持ってきていれば、tt悔やんでいたけど、万が一、渋滞うごかなくて
何かあってからじゃ、遅いんだから、そrでよかったんだって、そういったけど
私自身、廃車にするまで、もう少し乗ろうね、って言っていた矢先だったから
車がダメになったのが、実は悲しかった。

家の修理が終わって、戻ってきたのが8月。
外構はいまだなおせていません。
地盤が下がっているのと、市内の下水処理能力が低下しているせいで
9月の台風の際には、床下浸水しました。
凄かった。ていうか異常だった。
午後5時ころは、大丈夫だったのに、7時過ぎには、道路が冠水。
あれよあれよという間に、床下浸水。
満潮時刻を過ぎた9時半?10時前くらいに、さーーーっと水が引いていきました。
あれには、ほんtびっくりsた。
断熱材までには水が到達しなかったので、乾かせば大丈夫ということになり、とくに補修なし。
助かった・・・。

もう少し、基礎高くしておけばよかった、と言っていたら、
地震後、解体して立て直し始めた、近くの家、基礎がうちの1.5倍k来あった。
そりゃそうだよね・・・。

*

うちですら全部が全部、もとのままには戻っていないし、
仮設住宅で移転先が決まるのを待っている人たちもいる。
福島にはいつ帰れるのか、見通しはたたない。
まだまだ復興までの道は、本人がやっともとに戻った、って思えるようになるmでには
5年、10年ていうスパンで考えなといけないんだと思う。

だから、やっぱりまだ1年。
なのかもしれない。









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テーマ:日々のつぶやき - ジャンル:育児

  1. 呟き
  2. | comment:1
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  1. 2012/07/08(Sun) 07:25:19 |
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